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 このページではアニッシュのことが書かれた記事についてご紹介します。

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チェスのおとぎばなし


 以下は、オランダの雑誌に掲載されたアニッシュ・ギリと家族を紹介した記事の抜粋です。 彗星のごとくあらわれた天才アニッシュの大活躍、そしてオランダを移住先に選んだギリ一家を物語風に書き表したあたり、秀逸だと思います。

 著者はルネ・オルトフ。山田明弘の訳。


 《イントロ》


 並外れた家族を、普通に紹介するところから始めよう。 アニッシュ・ギリ、超天才。ネパール人の父、ロシア人の母を持つ。 母は彼が7歳のときに彼にチェスを教えた。 2ヶ月後、母は相手にならなくなっていた。 2人の妹がいる。2008年1月からオランダのリースヴァイクに住んでいる。 ロシア小学生チャンピオン、2006年ヘルツェグノヴィで行われたヨーロッパ小学生選手権で9戦して7点を取り3位タイ。 9歳で北海道チャンピオン。 ロシア語が母国語であり、英語、ネパール語、オランダ語はまあまあ、日本語が少し話せる。 チェスのレイティング[実力を表す数値]は2517。彼の年齢グループでは世界第6位。 インターナショナル・マスターを飛び越え、いきなり世界最年グランド・マスターとなる。 (チェスベース記事参照www.chessbase.com


 《海の下の国》


 昔むかし、オランダから遠く離れ、高い山々の国にジェイサンという名の小さな男の子が住んでいました。 彼は国語と数学を習いに毎日教室へ通いました。 彼は教室が大好きでした。教室は、バル・マンディールというお寺の中にあり、お寺で先生をしていたお母さんが近くにいたからです。 でも、不思議なことに、ジェイサンの興味は周りの山々にはありませんでした。 (世界1の高さなのにねえ!)  水産…ではなく、ジェイサンさんが熱中したのは、やはり水、海、そして大海原だったのです。 高い山々の国では、水はわずか。 そこで大きくなったジェイサンは、水を探しに旅に出ました。

 最初にたどり着いた所はペテルブルグ皇帝の国です。 そこは高い山々の国とはまったくちがっておりました。 平らな所ばかりで水がいっぱいあったからです。 彼はペテルブルグ皇帝の国でその国の言葉を学び、ふたたび学校に通いました。 齢を重ねた皇帝のように、水についてすべてを学ぶためです。 ジェイサンは新しい街で少女に出逢いました。 恋に落ちた二人は結婚し、子どもを授かりました。 男の子のニッシュアと二人の女の子です。

 ジェイサンが水についてのすべてを学んだとき、新しい国で働くチャンスがやって来ました。 日出ずる国。そこには山々と、同じ場所に水がありました。 これは何とすてきな組み合わせでしょうか!  彼は家族と一緒に、荷物をまとめて東へ旅立ちました。

 日出ずる国で何年か過ごし、その国の秘密をすべて解き明かしたジェイサンは、さらに高度な領域を目指し始めました。 水の神殿(デルファイ)、水学者の聖地であるデルフトに到着。 そこでジェイサンは水の神から掲示を授かったのです!  手始めに彼は海の下にあるおかしな国を見に行きましたが、一目見るなり好きになり、確信したのです、この土地こそ家族と住むべき土地である・・・と。

 高い山々の国で生まれたジェイサンが海の下の国で暮らすようになったのは、こうした訳だったのです。 彼はそのあと家族と共に幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし・・・。

 《降臨》

 アニッシュ・ギリが2008年1月オランダに着いたとき、彼の名を知る者は誰もいなかっただろう。 データベースでは、2005年5月、モスクワとペテルブルグの間で行われた定期大会が、アニッシュの最初の棋譜となっている。 翌年、ヘルツェグノヴィで行われたヨーロッパ小学生選手権において、ロシア代表として出場。さらに翌年も同じように出場した。 (アニッシュはすでに国内で小学生チャンピオンだった) 彼のレイティング[実力を表す数値]は2155であり、オランダで言えば若手有望プレーヤー、アーサー・パイパース選手くらいの実力だった。

 アニッシュは、父の職場の紹介でDSCチェス・クラブに加入した。 クラブでは誰もが大歓迎してくれた。 オランダ・チーム選手権においてチームが3戦3勝したのは、アニッシュのおかげだった。 オランダ全体が最初にこの新しい天才に気付き始めたのは、2月、ウトレヒトで行われたハイパーキューブ・トーナメントにおいてだった。 無名の13歳が、2300以上の成績で優勝を争った大会、それとても特に注目されたいた訳ではなかった。 ウトレヒトで起こったこの「事件」は、普通ならにわかに信じがたい話である。 しかし、トーナメントの優勝者ダニエル・フリードマンは、優勝したからこそ一番よく分かっていたにちがいない。 とてつもない天才がオランダに「降臨」したのだということを!

 その日の夕方、彼はチーム・マネージャーを電話に呼び出して言った。 「ルネ、アニッシュはHMCコールダーに必要だ。すぐチームに引き抜いてくれ!!」

 電話が終わるやいなや、すぐにそれは実行された。 2008年4月、ヒルファーサムで行われたオランダ選手権、その大会に並行して開催されたHSGオープンで、またもやアニッシュが表舞台に現れる。 3ラウンド、アニッシュは優勝候補フリードマンに勝ち星を献上。ちょっと信じられないことだが、アニッシュはこのときがGMとの公式初対戦であった。 ペテルブルグでは2300くらいの相手と何回も対戦してはいたが、IMやGM[将棋で言うプロ高段者]のようなプレーヤーと対戦する機会はめったになかったからだ。その敗戦の後、アニッシュはゆっくりと、しかし着実に勝ち星(たとえば対ロア・ミエデマ戦など)を増やしていった。 ジョン・ファン・デア・フィールやボリス・チャタルバチェフのような強豪からもドローを奪っていった。

 そうして、気がついてみれば、最終ラウンドがアニッシュの優勝と、最初のGMノーム[GMのタイトルを取るために3度必要な好成績]のかかる試合になっていた。 他でもない、強豪アレクサンダー・ジェブアジェとの最終決戦だ。だが、これには誰もが度肝を抜かれた。

 カルポフのように静かで完璧なプレー・・・。 エンドゲームで優位を取り、プレッシャーをかけ続けるスタイル。 そこでは、もう何もかもが奇跡だった。・・・(以下、省略)


(文中の人名でニッシュアはアニッシュのこと、ジェイサンは父親のサンジェイのことを表している。)